近畿名水の旅

●はじめに
名水百選とは?
 市町村から推薦された784ヵ所の中から、環境庁により1985年に選定された100の名水です。日本全国に存在するきれいな水の中で、特に湧き水、地下水、川のように流れている水(表流水)について、学識経験者からなる検討会が選びました。そして、それらの名水を広く国民に紹介し、水についての認識を高め、普及させることを目標としています。
 また、「水質、水量、周辺環境などが良い状態であること」と「周辺地域に住む人々によって大切に守られていること」という2つの条件のほかに、大きさや歴史などを調査して選ばれました。

■名水スケッチ (4) 布引渓谷(兵庫県神戸市)
船乗りが絶賛した世界一の美味し水
●その1[歴史]
明治33年に誕生した神戸の近代水道の源

 名水百選に選ばれている布引渓谷には、日本滝百選の一つ、布引の滝を中心にハイキングコースが整備されています。ここは、同時に神戸の近代水道の移り変わりを色濃く残す場所で、明治33年に完成した布引ダムの勇姿が今も輝いています。布引ダムは水道局の土木施設としてわが国初の重力式コンクリートダムで、烏原ダム、千刈ダム、水の科学博物館と並び登録文化財に指定され、布引ハーブ園の南ゲート近くから布引貯水池を通り新神戸駅にいたる、約2時間半のハイキングでも確認することができます。
水道の整備は言うまでもなくコレラなどの伝染病の蔓延を防ぐのに役立ち、港の開港に合わせて貿易が盛んになり人口の増加による水不足を緩和しました。給水人口25万人に対して1日2万5千立方メートルを給水することができ、布引渓谷の水を神戸の住民に安定供給しました。

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●その2[変遷]
神戸のめざましい発展に、水道事業も大変革を決行

 その後2つの浄水場と烏原ダムを新設しました。大正時代に入ると、さらに港が活気づき産業、経済が急速に発展し、市域の拡大も重なり水道の供給人口も大幅に増加しました。大正6年には奥平野浄水場に急速ろ過場を新設して浄水能力を向上させ、2年後には千刈堰堤と上ヶ原浄水場が完成しましたが、予想を越える著しい人口の増加は、水不足を解消することなく市民らの不満の声はやみませんでした。
 新たな浄水施設の建設を計画しましたが、自然環境への配慮と市域の拡大などの理由から建設を断念。そこで同様に水源不足に悩まされていた芦屋市や西宮市などと協力して、阪神上水道市町村組合を設立しました。豊富な水量で安定した供給が約束される淀川を水源としたのです。
 当時の決断は、今の布引渓谷の自然と景観の保全に役立ち、名水の保存にもつながりました。その心は今に受け継がれ、神戸市はもちろん、婦人会や子供会などから組織される「布引・市が原を美しくする会」の活動によって、布引渓谷全体の自然が守られています。

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●その3[科学]
特殊な地質が生み出す、命の水

 作家の司馬遼太郎は著書『街道をゆく』の中で、外国の船乗りたちがその昔、赤道を越えても腐らず美味しさもかわらないコウベウォーターを絶賛し、世界一の名水と称えたと書いています。それは、長い航海に出る船乗りたちにとっては命の水として、船から船へ、船乗りから船乗りへと噂が広がり、立ち寄る船のほとんどが、布引渓谷から取水した水をたっぷりと積み込んで航海に出たそうです。
さて、布引渓谷の水にはどのような秘密があるのでしょうか。六甲山布引水系の地質は、花崗岩砂礫層やシルト層といわれ、天然のろ過機能に加え、汚染の心配のない地質と考えられています。神戸クアハウスで売られている「神戸布引の水」の成分表を見ると、カルシウム、ナトリウム、マグネシウム、カリウムなどのミネラル値が高く、これが美味しい水といわれる証です。
自然豊かな六甲山系に浸み込み、長い時間をかけて湧き出る布引渓谷の水は、昔も今も変わることなく渓谷の清流として、また布引の滝となって、美しく、また美味しいままで、後世に受け継いでいきたいものです。